日吉・吉野・登の神社
日吉神社 吉野隈川神社 登神社 国力鉱山鉄山神社 登位加高台神社
日吉神社
「常呂町史」から引用
*明治43年 現在地(日吉199番地)に天照大神の標木を建立。
*大正元年10月 社殿を造営、手師学神社と称号。
*昭和16年 社名を日吉神社に改称。
*昭和34年10月 社殿を新築。
*昭和54年 鳥居建て替え。
*明治43年 現在地(日吉199番地)に天照大神の標木を建立。
*大正元年10月 社殿を造営、手師学神社と称号。
*昭和16年 社名を日吉神社に改称。
*昭和34年10月 社殿を新築。
*昭和54年 鳥居建て替え。
吉野隈川神社
「常呂町史」から引用
*大正7年10月 吉野88番地に天照皇大神、札幌神社の標木を建立。
*大正14年6月 吉野553番地2に移社。
10月 本殿を造営。天照大神、須佐男大神、大国主神、稲荷五社大神、日本武大神の祭神柱の奉上。
社名を隈川神社と称号。
*昭和5年6月 拝殿を造営。
*大正7年10月 吉野88番地に天照皇大神、札幌神社の標木を建立。
*大正14年6月 吉野553番地2に移社。
10月 本殿を造営。天照大神、須佐男大神、大国主神、稲荷五社大神、日本武大神の祭神柱の奉上。
社名を隈川神社と称号。
*昭和5年6月 拝殿を造営。
登神社
「常呂町史」から引用
*昭和3年5月 登165番地に社殿を造営。天照大神を奉上、登神社と称号。
*昭和33年3月 登59番地に移社。
*昭和3年5月 登165番地に社殿を造営。天照大神を奉上、登神社と称号。
*昭和33年3月 登59番地に移社。
国力鉱山鉄山神社
*日吉地区にあった通称「鉄山」針田鉱業国力鉱山所有の神社。
*わずかな写真と日吉小学校・日吉中学校・常呂町役場「当直日誌」に
同神社の「山神祭り」の記載があります。
(「山神祭り」に関する記述は、昭和32年から36年までの5年間)
*神社の詳細は不明です。
*昭和39年10月閉山。
*わずかな写真と日吉小学校・日吉中学校・常呂町役場「当直日誌」に
同神社の「山神祭り」の記載があります。
(「山神祭り」に関する記述は、昭和32年から36年までの5年間)
*神社の詳細は不明です。
*昭和39年10月閉山。
登位加高台神社
* 「高台神社」は、道道7号北見常呂線・登東部付近の
3号峠西側高台にある小さな神社
*端野町と常呂町の境界にあり、常呂町登東部と
端野町北登1班の住民が氏子
*神社の位置は旧地名:登位加(といか)
昭和13年の端野村字名改正で端野側登位加は
「北登(ほくと)」に改称
昭和16年の常呂村字名改正で常呂側登位加は
「登(のぼり)」改称
*高台神社社殿の建立は昭和14年
*社殿の寸法は、脚部分を除き、台座が1.8m四方、
台座から屋根までの高さは約3.6m、
屋根のひさしの正面幅は約2.1m。
*祭神は「天照皇大神」
(留辺蘂神社からのお札に記載)
*平成24年4年に最後の神社祭を行い、端野神社神主により
魂抜きとお札のお焚き上げの儀式で神社の歴史に幕
3号峠西側高台にある小さな神社
*端野町と常呂町の境界にあり、常呂町登東部と
端野町北登1班の住民が氏子
*神社の位置は旧地名:登位加(といか)
昭和13年の端野村字名改正で端野側登位加は
「北登(ほくと)」に改称
昭和16年の常呂村字名改正で常呂側登位加は
「登(のぼり)」改称
*高台神社社殿の建立は昭和14年
*社殿の寸法は、脚部分を除き、台座が1.8m四方、
台座から屋根までの高さは約3.6m、
屋根のひさしの正面幅は約2.1m。
*祭神は「天照皇大神」
(留辺蘂神社からのお札に記載)
*平成24年4年に最後の神社祭を行い、端野神社神主により
魂抜きとお札のお焚き上げの儀式で神社の歴史に幕