相馬妙見小高神社・相馬神社
相馬妙見小高神社 相馬神社
相馬妙見小高神社
「常呂町史」から引用
*明治41年に渡辺留八が福島県相馬郡小高町小高神社から天之御中主大神を受ける。
*大正5年 忠魂碑前に御堂を建立。
*大正12年8月 常呂川堤防の完成を記念して、当時の荷馬車業者と堤防工事に従事した人たちによって、
馬の神として現在地に移社し、拝殿を造営、相馬妙見小高神社と称号。
*平成5年10月 ご神体を小高神社に返還、拝殿取り壊し。
「相馬妙見小高神社跡」木柱設置。(令和2年現在、木柱はありません)
*通称は「小高神社」。神社前の広場やかつてあった土俵やステージ窓を含め、
この一帯を「小高神社」と称し、地域の催し・憩いの場として親しまれていました。
いくつかの写真で紹介します。
*明治41年に渡辺留八が福島県相馬郡小高町小高神社から天之御中主大神を受ける。
*大正5年 忠魂碑前に御堂を建立。
*大正12年8月 常呂川堤防の完成を記念して、当時の荷馬車業者と堤防工事に従事した人たちによって、
馬の神として現在地に移社し、拝殿を造営、相馬妙見小高神社と称号。
*平成5年10月 ご神体を小高神社に返還、拝殿取り壊し。
「相馬妙見小高神社跡」木柱設置。(令和2年現在、木柱はありません)
*通称は「小高神社」。神社前の広場やかつてあった土俵やステージ窓を含め、
この一帯を「小高神社」と称し、地域の催し・憩いの場として親しまれていました。
いくつかの写真で紹介します。
相馬神社
*相馬神社に関するまとまった資料はありません。
*常呂町役場「当直日誌」に記載されている「相馬神社」に関する
記載は次の通りです。
昭和18年7月16日 相馬神社祭典(共同牧場)
昭和22年7月11日 相馬妙見神社遷座祭執行
・「富丘百年史」の古老座談会に「昔、富丘に〈妙見〉さんがあって、
常呂町の家畜を飼っていた人たちがお参りに来ていた。現在は、
土佐に持っていっている」という記述があります。
・「遷座」は、富丘から土佐の種馬所に移したことを指す可能性が
あります。(昭和21年11月3日 畜産振興会が種馬所に獣魂碑建立)
・相馬神社と獣魂碑のことを断片的に知る人から、相馬神社は元々
富丘にあり、その後、獣魂碑と一緒に種馬所に移り、農協牧場へと
移ったという証言を得ています。
昭和22年7月15日 小高神社例祭(子ども角力)
相馬妙見神社例祭(種馬所:青年角力)
・同一日に、2つの例祭があったことが分かります。
同じ「相馬」でも、「相馬妙見小高神社」は「小高神社」、
「相馬神社」が「相馬妙見神社」と呼ばれていたことが考えられます。
昭和26年7月16日 相馬神社祭典余興(種馬所)
昭和30年12月8日 常呂町酪農振興会が獣魂祭挙行
(酪農振興会創立30周年記念史)
昭和35年10月21日 種馬所が土佐9番地に移転、獣魂碑も種馬所とともに移転
(常呂町農協創立20年記念史 農協50年史)
*平成13年に、獣魂碑と相馬神社は農協牧場に移転。
*常呂町役場「当直日誌」に記載されている「相馬神社」に関する
記載は次の通りです。
昭和18年7月16日 相馬神社祭典(共同牧場)
昭和22年7月11日 相馬妙見神社遷座祭執行
・「富丘百年史」の古老座談会に「昔、富丘に〈妙見〉さんがあって、
常呂町の家畜を飼っていた人たちがお参りに来ていた。現在は、
土佐に持っていっている」という記述があります。
・「遷座」は、富丘から土佐の種馬所に移したことを指す可能性が
あります。(昭和21年11月3日 畜産振興会が種馬所に獣魂碑建立)
・相馬神社と獣魂碑のことを断片的に知る人から、相馬神社は元々
富丘にあり、その後、獣魂碑と一緒に種馬所に移り、農協牧場へと
移ったという証言を得ています。
昭和22年7月15日 小高神社例祭(子ども角力)
相馬妙見神社例祭(種馬所:青年角力)
・同一日に、2つの例祭があったことが分かります。
同じ「相馬」でも、「相馬妙見小高神社」は「小高神社」、
「相馬神社」が「相馬妙見神社」と呼ばれていたことが考えられます。
昭和26年7月16日 相馬神社祭典余興(種馬所)
昭和30年12月8日 常呂町酪農振興会が獣魂祭挙行
(酪農振興会創立30周年記念史)
昭和35年10月21日 種馬所が土佐9番地に移転、獣魂碑も種馬所とともに移転
(常呂町農協創立20年記念史 農協50年史)
*平成13年に、獣魂碑と相馬神社は農協牧場に移転。