共立・豊川の神社
共立八幡神社 豊川巌地神社
共立八幡神社
「共立百年史」から引用
*八幡神社は、明治33年9月、川東8号・9号間の現在の堤外地に
1尺あまりの柱を建て、祀ることから始まる。その後、社屋を社屋を
建立し、大正8年まで岩見神楽を奉納していたが、この年の大洪水に
より衣装を流失し、神楽の奉納は途絶える。幸いにして現在の太鼓は
流失を逃れる。
*大正10年から堤防工事の開始に伴い、神社境内が堤外地となるため、
上杉眞治氏から1反歩の土地寄贈を受け、大正10年この地(共立79番地)に
神社を建立する。
*昭和22年 太鼓張り替え。
*昭和33年 池知正勝が棟梁となり、流造りで9月吉日神社新築。
鳥居をオンコで奉納。
麻畠喜助・斉藤吉太郎両古老から由来を聞き、農協青年部・
酪農青年研究会が由来記を奉納。
*昭和37年 太鼓台寄贈。
*昭和54年 太鼓張り替え。
*昭和56年 神社屋根ペンキ塗装。
この年から宵宮に会館付近で会食をするようになる。
*昭和58年 区役員出役で鳥居の補強、防腐剤塗布。
*昭和63年 鈴と鈴緒寄贈。御神橙1対、幕奉納。
*平成2年 神社屋根ペンキ塗装。拝殿の畳表替え。
*平成4年 神社屋根トタン張り替え。
*平成16年8月 鳥居建立。
*八幡神社は、明治33年9月、川東8号・9号間の現在の堤外地に
1尺あまりの柱を建て、祀ることから始まる。その後、社屋を社屋を
建立し、大正8年まで岩見神楽を奉納していたが、この年の大洪水に
より衣装を流失し、神楽の奉納は途絶える。幸いにして現在の太鼓は
流失を逃れる。
*大正10年から堤防工事の開始に伴い、神社境内が堤外地となるため、
上杉眞治氏から1反歩の土地寄贈を受け、大正10年この地(共立79番地)に
神社を建立する。
*昭和22年 太鼓張り替え。
*昭和33年 池知正勝が棟梁となり、流造りで9月吉日神社新築。
鳥居をオンコで奉納。
麻畠喜助・斉藤吉太郎両古老から由来を聞き、農協青年部・
酪農青年研究会が由来記を奉納。
*昭和37年 太鼓台寄贈。
*昭和54年 太鼓張り替え。
*昭和56年 神社屋根ペンキ塗装。
この年から宵宮に会館付近で会食をするようになる。
*昭和58年 区役員出役で鳥居の補強、防腐剤塗布。
*昭和63年 鈴と鈴緒寄贈。御神橙1対、幕奉納。
*平成2年 神社屋根ペンキ塗装。拝殿の畳表替え。
*平成4年 神社屋根トタン張り替え。
*平成16年8月 鳥居建立。
豊川巌地神社
「イワケシュ郷土史」「豊川区開基百年記念誌」から引用
*明治39年10月15日 氏子区域を17号から19号として巌岸山の中腹に標石を奉斎し、
仮宮地と定めた。
*明治42年9月25日 氏子区域を10号から16号までとして13号横道の堤防付近に
標木を建て、そこを仮宮地として地鎮社を祀った。
*大正5年9月30日 2つの神社の「巌岸」と「地鎮」の各1文字をとって巌地神社を建設。
*昭和10年6月5日 拝殿屋根葺き替えを決定・実施。
*昭和48年 巌地神社改修工事。
*平成7年 豊川区開基百年記念ののぼり奉納。
*平成29年9月1日 鳥居建立再建。
*明治39年10月15日 氏子区域を17号から19号として巌岸山の中腹に標石を奉斎し、
仮宮地と定めた。
*明治42年9月25日 氏子区域を10号から16号までとして13号横道の堤防付近に
標木を建て、そこを仮宮地として地鎮社を祀った。
*大正5年9月30日 2つの神社の「巌岸」と「地鎮」の各1文字をとって巌地神社を建設。
*昭和10年6月5日 拝殿屋根葺き替えを決定・実施。
*昭和48年 巌地神社改修工事。
*平成7年 豊川区開基百年記念ののぼり奉納。
*平成29年9月1日 鳥居建立再建。