弁天地区

弁天

海難者慰霊碑

海難者慰霊碑
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*弁天の高台の眺望のよいところに建てられている石碑です。昭和29年のオホーツク災害による
 被災者の霊を慰めるために、38年11月に、常呂漁業協同組合が建立したものです。
 このオホーツク災害とは29年5月9日に暴風を伴った低気圧が北海道西部より網走北部を通過し、
 オホーツク海に抜けたため、翌10日未明から急激に西の風が強まり、瞬間風速31.7mを記録した
 暴風雨がオホーツク沿岸を襲ったものです。
 このため、知床半島沖に出漁していた常呂漁業協同組合所属の小型漁船は、避難する間もなく、
 多数沈没し、死者、行方不明21名という大災害になったのです。

旧網走坂碑

網走坂
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*常呂町開基100年の昭和58年10月に、常呂神社鳥居より少し河口側に
 建てられた石碑です。
 旧常呂橋が架かっていた時、この坂を通って網走方面へ向かっていましたが、
 国道の一部変更により、常呂橋が架け替えられ、40年3月に旧常呂橋が撤
 去されました。このことにより、この坂もほとんど通ることはなくなり、
 現在では草に埋もれた細い道が残されているのみという状況ですが、
 忘れたくない道といえます。

渡船場跡碑

渡船場
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*常呂川に橋が架けられたのは明治23(1890)年のことであり、
 それ以前は舟で渡していました。古くは寛政9年に書かれた高橋壮四郎の
 「蝦夷巡覧筆記」や寛政10年の谷口青山の「沿岸図」に、すでに常呂川に
 渡し船があったことが記されています。
 「開拓使事業報告」によると、明治15年1月における常呂村内の渡船場は
 常呂と鐺沸の2ヶ所だけであり、常呂川の渡船料金は人が7厘、馬が1銭でした。
 橋が架けられる直前の23年に佐藤喜代吉が残した「北海道旅行記」では、人が3銭でした。
*昭和58年の常呂町開基百年記念事業として設置された石碑です。 

最終更新日: