川東地区

川東 2件

トコロ貝塚碑

常呂貝塚
常呂貝塚2
 「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*国道238号線の常呂大橋の脇を山側に折れて、川東道路をしばらく行くと、左側の切り通し
 (常呂川の東岸)に貝層が見えるようになっています。その上は畑になっていて、白い貝塚の
 破片が一面に散っています。そこがトコロ貝塚です。
*この貝塚は、道東最大の貝塚です。カキを主体にしており、南北約200m、東西約80mで、
 厚さ0.2~1mの規模があります。
 貝塚は、今から約4,500年前の縄文時代中期北筒式土器の時代のものです。貝層の中の
 ハマグリは、当時が現在よりも暖かかったことを示しています。そして、現在の市街地のある
 低地は湖になっていました。
 この貝塚から出土した土器によって、「トコロ6類」「トコロ5類」という土器形式が命名され、
 北筒式土器の標準遺跡となっています。

姉問(アネトイ)逆水門跡

姉問逆水門1
姉問逆水門2
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*古い記録に、アネトイ(ア子トイ)またはアネトウ(ア子トウ)と書かれたアイヌ語の地名が
 あります。さけ・ます捕獲場からおよそ1km上流の姉問水門付近のことで…(中略)…
 ここに水門が造られたのは大正15年9月のことで、常呂川下流部の築堤工事に伴い、
 満潮時の常呂川の逆流と洪水によるアネトイ川の氾濫を防ぐために造られました。
 当時としては珍しいアーチ型の水門です。その後、昭和59年に築堤のかさ上げ工事に伴い、
 旧水門より下流に新しい水門が造られ、同時に水門に直接連結した排水機場も建設されました。
 旧水門のアネトイ川の胸壁の装飾は、現在でもその上部が残って
 いるので見ることができます。
*新しい排水機機場(姉問排水機場 昭和61年4月完成)

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