栄浦地区
栄浦 6件
ほたて養殖発祥之地碑
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*昭和58年11月に栄浦のサロマ湖畔に建立されたホタテ貝をかたどった石碑です。
これは常呂町開基100年を記念し、常呂漁業協同組合が組合員一同の総意に基づき、
現在のホタテ貝養殖漁業の礎として、さまざまな困難に直面しながらも増養殖事業に
取り組んだ先人の偉大な先見の明を讃えて建立したものです。
*昭和58年11月に栄浦のサロマ湖畔に建立されたホタテ貝をかたどった石碑です。
これは常呂町開基100年を記念し、常呂漁業協同組合が組合員一同の総意に基づき、
現在のホタテ貝養殖漁業の礎として、さまざまな困難に直面しながらも増養殖事業に
取り組んだ先人の偉大な先見の明を讃えて建立したものです。
第5回全国豊かな海づくり大会 皇太子殿下・皇太子妃殿下行啓記念碑
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*この碑は、サロマ湖を舞台にして昭和60年9月8~9日に行われた
第5回全国豊かな海づくり大会を記念して建立された石碑です。
東急リゾート(注:現「鶴雅リゾート」)の南側の栄浦浜に立っています。
*この大会は、皇太子と同妃殿下をお迎えして、サロマ湖3町で行われましたが、
式典会場は湧別町登栄床漁港でした。
両殿下は、新築となったばかりのサロマ湖東急リゾートに2泊されましたが、
多目的研修センターや手工芸の館にも立ち寄られました。
*石碑は大会記念碑であると同時に、両殿下の行啓記念碑でもありますが、
昭和60年9月に建立されています。
*この碑は、サロマ湖を舞台にして昭和60年9月8~9日に行われた
第5回全国豊かな海づくり大会を記念して建立された石碑です。
東急リゾート(注:現「鶴雅リゾート」)の南側の栄浦浜に立っています。
*この大会は、皇太子と同妃殿下をお迎えして、サロマ湖3町で行われましたが、
式典会場は湧別町登栄床漁港でした。
両殿下は、新築となったばかりのサロマ湖東急リゾートに2泊されましたが、
多目的研修センターや手工芸の館にも立ち寄られました。
*石碑は大会記念碑であると同時に、両殿下の行啓記念碑でもありますが、
昭和60年9月に建立されています。
原孤葉句碑
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*栄浦第1キャンプ場内(注:現在は廃止)に昭和39年10月5日に常呂町文化連盟、
蛙声(あせい)会、網走十七美会が建立した石碑です。
原孤葉の句「鮭曳の唄よ日が落つ風の中」を刻んでいます。
原孤葉氏は本名を紋蔵といい、明治29年に滋賀県浅井郡に生まれ、網走町収入役、
常呂村長、常呂町教育長を歴任した人です。
そして、一方では俳句の蛙声会(大正9年設立)のよき指導者であり、その顕彰の意を込めて
この碑が建立されましたが、昭和46年に逝去されました。
*現在、この句碑は、鶴雅リゾートの右横にある小公園に設置されています。
*栄浦第1キャンプ場内(注:現在は廃止)に昭和39年10月5日に常呂町文化連盟、
蛙声(あせい)会、網走十七美会が建立した石碑です。
原孤葉の句「鮭曳の唄よ日が落つ風の中」を刻んでいます。
原孤葉氏は本名を紋蔵といい、明治29年に滋賀県浅井郡に生まれ、網走町収入役、
常呂村長、常呂町教育長を歴任した人です。
そして、一方では俳句の蛙声会(大正9年設立)のよき指導者であり、その顕彰の意を込めて
この碑が建立されましたが、昭和46年に逝去されました。
*現在、この句碑は、鶴雅リゾートの右横にある小公園に設置されています。
栄浦の馬頭観世音
*栄浦地区多目的研修センター近くの原っぱにあります。
裏側に、昭和33年10月「栄浦部落一同建立」の文字があります。
裏側に、昭和33年10月「栄浦部落一同建立」の文字があります。
ワッカ駅逓跡所跡木柱
*木柱は、常呂町開基百年記念事業として設置したもの。
設置した場所は、第2湖口から第1湖口の方に約8.5km行った砂州にあります。(現存は確認できません)
*「常呂町百年史」(410-411p)から引用
「ワッカには、上原熊次郎の『蝦夷地考并里程記』に休所とみえるように、昔から休息所があった。
その後の松浦武四郎の日誌類にも小休所とか昼休所と記録されている。…ワッカ駅の設置は、
明治25年5月14日の告示第34号に〈明治21年4月北海道庁告示第33号人馬継立所設置箇所へ
常呂郡鐺沸村字ワッカ駅を追加」
*ワッカ駅逓の廃止は、大正9年12月31日らしいとあります。
設置した場所は、第2湖口から第1湖口の方に約8.5km行った砂州にあります。(現存は確認できません)
*「常呂町百年史」(410-411p)から引用
「ワッカには、上原熊次郎の『蝦夷地考并里程記』に休所とみえるように、昔から休息所があった。
その後の松浦武四郎の日誌類にも小休所とか昼休所と記録されている。…ワッカ駅の設置は、
明治25年5月14日の告示第34号に〈明治21年4月北海道庁告示第33号人馬継立所設置箇所へ
常呂郡鐺沸村字ワッカ駅を追加」
*ワッカ駅逓の廃止は、大正9年12月31日らしいとあります。
高野素十句碑
「ところ通信」12月号から引用・編集
*網走市在住の新谷泰造氏から高野素十(たかの・すじゅう)句碑寄贈
*ワッカ・ネイチャーセンター横に設置
*句碑の裏に「素十 二十五回忌建之」の文字
*網走市在住の新谷泰造氏から高野素十(たかの・すじゅう)句碑寄贈
*ワッカ・ネイチャーセンター横に設置
*句碑の裏に「素十 二十五回忌建之」の文字