富丘地区

富丘 6件

富丘100年記念碑「拓頌」

富丘100年1
富丘100年2
 「富丘百年史 拓頌」(平成11年/刊)ら抜粋
*開基百年にあたり、今日の豊かな郷土を築き上げた先人たちに喜びと誇りを感じ、
 次の世代へ限りない未来を拓く事を祈念し、題字は先人たちを褒めたたえ、
 一層発展する事を願い「拓頌」とした。
 建設場所は公民館(富丘地区高齢者コミュニティセンター)駐車場西側の小高い
 場所に建立。
 平成10年11月22日午前10時、子供たちの手で除幕される。
*記念碑の裏側には、富丘開拓に関する碑文が記されている。

富丘の馬頭観世音菩薩碑

富丘馬頭観世音
富丘馬頭祭

昭和61年7月17日 富丘地区の馬頭祭

奉納相撲

昭和61年7月17日 富丘小学校グランド南側の相撲広場で馬頭祭奉納相撲大会

 「富丘百年史 拓頌」(平成11年刊)から抜粋
*明治から大正の西川沿の道路は、数多くの坂道で、物資の搬出往来には今では考えられない
 苦難の道であった。
 物流の総てが馬により行われるに伴い、事故も続発する。佐呂間道路吉田金作の沢を吉田沢と
 呼んでいた。この坂で馬の転落死亡事故が多発したため、馬頭観世音菩薩を祀った。
 この菩薩は事故により亡くなった馬の霊を慰める為に祀られたものであり、大正15年9月
 石碑にて建立する。昭和45年6月、神社の移転と同時に、馬頭観世音菩薩も神社境内に移した。
 時代の流れにより馬から機械力に変わってしまったが現在も輓馬生産用として、富丘に4戸で
 10数頭の馬を飼育している。毎年7月17日を馬頭祭とし、今は馬ばかりではなく家畜の
 霊も祀っている。

英霊の碑

英霊の碑
 「富丘百年史 拓頌」(平成11年刊)から抜粋
*昭和20年8月15日、無条件降伏までにこんな小さな部落からも、若い10代、20代の
 17名が戦争犠牲者となる。「お国の為とはいえ、青春を散らした英霊よ安らかに眠って
 下さい」と、終戦の翌年21年7月、富丘神社の境内に標木を建てて霊を祀るが、当時の
 区長土田重太郎さんが発起人となり、昭和45年6月石碑にて現在の富丘神社の境内に
 再建し、現在に至る。毎年春と秋の2回老人クラブによりささやかながら英霊祭を行っている。

富丘小学校30周年記念校門

富丘小学校校門1
*昭和55年11月24日に富丘小学校開校30周年記念式典を行い、富丘小学校開校30周年協賛会が
「記念誌 しらかば」を発行、
*開校30周年記念事業として校門整備が披露されました。
 校門の裏側には「昭和五十五年 三十周年記念事業」のプレートがあります。

富丘小学校開校50周年記念太陽電池式ポール時計

太陽光時計1
太陽光時計2
 富丘小学校の学校だより「しらかば」第7号(平成11年11月1日発行)を参考に編集
*「開校50周年記念協賛会だより」の項目を設け、記念事業として「太陽電池式ポール時計」設置を
 次のように伝えています。
 「太陽電池式ポール時計は3面丸形で、校門・グランド・富丘地区コミセンの3方向から時計が
 見えるように、校舎の東側に設置」
*時計のポールに「平成11年1月28日」の銘板があります。

田中清泉句碑

田中清泉句碑
*個人で建立した句碑。常呂町富丘の15号7と西8線間の自ら開墾した道路脇の少し小高い地に建立。
*元蛙声会会員。句は「春嵐し 母呼ぶ吾子等 野に伏して」。

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