登地区
登 2件
登の馬頭観世音
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*登小学校跡の西側の山の中腹に登神社があります。登神社の鳥居のかたわらには、
登集落有志一同が馬の慰霊供養のために、昭和8年9月に建立した馬頭観世音の
石碑が建っています。
*登小学校跡の西側の山の中腹に登神社があります。登神社の鳥居のかたわらには、
登集落有志一同が馬の慰霊供養のために、昭和8年9月に建立した馬頭観世音の
石碑が建っています。
登小学校跡木柱
*墨文字がくっきり残っている木柱は、昭和58年に常呂町の開基百年事業として設置した当時のもの。
*登小学校跡木柱は、道々日吉端野線から日吉登道路に入り、現在も残っている登神社の10mほど
右下の道路から少し奥まったところにあります。
*登地区は、昭和元年村界変更によって端野町から常呂町に編入し、当時の地名「登位加」は、昭和16年の
字名地番の改正によって「登」に改称しました。子どもたちは、端野町北登、豊実の両校や日吉・吉野小学校に
通っていましたが、地域の中から学校設立の要望が高まり、昭和27年11月11日に1学級30名で開校しました。
*昭和34年度に在籍児童数61名となりピークを迎えますが、以後児童数が減少し、昭和51年3月22日に
卒業式と閉校式を行い、閉校となりました。卒業生は累計で134名でした。
*現在の木柱と周辺の写真も載せました。
*登小学校跡木柱は、道々日吉端野線から日吉登道路に入り、現在も残っている登神社の10mほど
右下の道路から少し奥まったところにあります。
*登地区は、昭和元年村界変更によって端野町から常呂町に編入し、当時の地名「登位加」は、昭和16年の
字名地番の改正によって「登」に改称しました。子どもたちは、端野町北登、豊実の両校や日吉・吉野小学校に
通っていましたが、地域の中から学校設立の要望が高まり、昭和27年11月11日に1学級30名で開校しました。
*昭和34年度に在籍児童数61名となりピークを迎えますが、以後児童数が減少し、昭和51年3月22日に
卒業式と閉校式を行い、閉校となりました。卒業生は累計で134名でした。
*現在の木柱と周辺の写真も載せました。