吉野地区

吉野 5件

隈川特別教授所跡木柱

隈川木柱1

昭和58年の常呂町開基百年記念として設置した当時の木柱

隈川木柱2

昆虫の家敷地内にある木柱

吉野会1

昭和54年7月15日に吉野地区の出身者が集まり、
旧吉野小学校前の敷地で「吉野会」を開催して交流

吉野会2
 「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*吉野小学校は、大正8年4月に開校した手師學尋常小学校附属隈川特別教授場に始まります。
 それまで隈川地区の児童は6~8km離れた手師學小学校へ通学しており、地区住民の
 強い要望によって設けられたわけです。校舎は笠原農場の草葺きの事務所が充てられ
 ましたが、11年に木造の校舎が新築され、昭和2年4月、隈川尋常小学校へと校名が
 改称されました。
*この地区への入植者の増加に伴い児童数も増加し、8年には校舎の増築がなされ、
 16年4月隈川国民学校と改称し、翌17年4月に字名地番改正により吉野国民学校と改称、
 22年4月の学制改革により吉野小学校と校名を変えています。
*40年代に入ると地域の人口の流出が続き、51年3月をもって閉校となり、児童は日吉小学校へ
 通学することとなりました。
*「隈川特別教授所跡木柱」は、昭和58年の常呂町開基百年事業として吉野小学校敷地に
 設置しました。この場所は、吉野小学校の校舎を活用した自然体験施設のNPO「虫夢ところ昆虫の家」を
 経て、「グローバル体験施設若原」へと名称を変えています。
 

小笠原の森碑

小笠原の碑
小笠原の碑2
*「小笠原の森」碑は、昆虫の家から吉野浄水場へと続く道路の中間にあり、右側の少し奥まった
 場所に設置されています。碑の裏側には、この「小笠原の森」を設置した想いが記されています。
*第4代の常呂漁業協同組合代表理事組合長だった小笠原敬氏が果たしたホタテ養殖技術の振興と
 外海地まきホタテ漁業の発展に尽力した功績と二宮尊徳の「報徳思想」を指導理念として、
 「水を守り育むことが、この豊かな川と海を守り、大きな恵をもたらす」との持論のもと
 進めてきた常呂漁協の森づくり運動に尽くした氏の遺徳を受け継ぎ、常呂漁協が組合員総意で
 平成11年10月に「小笠原の森」を設置しました。

吉野の馬頭観世音

吉野馬頭観世音
「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*吉野に馬頭観世音が祀られたのは昭和5年のことで、隈川神社建立とともに
 馬頭観世音を祀る要望が出され、浄水場の少し上流に標木を立てたことに始まります。
 その後10年に、伊藤作蔵氏が馬頭観世音の石碑を寄贈し、同じ場所に建立しましたが、
 建立場所が不適当であるとのことから、25年、浄水場手前の現在地(浄水場手前の
 道路の右側)に移転しました。
*「昭和5年度隈川区収支決算報告書」には、8月14日に馬頭観世音建設と
 馬頭祭の酒・菓子・野菜の支出を記載しています。
 また、翌年の「昭和6年度隈川区費収支決算報告書」にも、8月16日に馬頭祭を行い、
 馬頭観世音お供物として酒とお菓子代を支出しています。

吉野の地神

吉野地神
 「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」(常呂町郷土研究同好会/刊)から抜粋
*吉野浄水場手前の交差点から登方面に向かって坂を登り切った左手に、
 吉野集落一同が昭和40年に建立した「地神」と文字を刻んだ石碑があります。

宮原養一氏尊志記念之碑

宮原養一碑1

吉野神社の境内にある石碑。神社敷地5反歩を寄付し、
吉野集落の発展に寄与した功績を刻んでいます。

宮原養一碑2

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