常呂図書館のテーマ別各種年表

 現在、20のテーマ別年表を作成しています。常呂の歴史を振り返るときに役立ちます。
年表はすべてPDFファイルです。Acrobat Reader DCを起動し、「編集」メニューから
「簡易検索」を選ぶと「キーワード検索」ができます。

テーマ別各種年表

 大正13年(1924年)、網走・常呂間の自動車の定期旅客運送開始から
平成16年(2004年)の町営バス(低床バス)導入・運行までを6ページの
年表にまとめ、年表を補強するための資料を21ページつけました。
 明治26年(1893年)、常呂郡内初の競馬会から、土佐にあった
競馬場で行われた昭和33年(1958年)の第3回競馬会までの歩みを
4ページの年表にしました。
 大正7年(1918年)の常呂電気株式会社設立から常呂の電気導入が始まり、
昭和43年(1968年)までを4ページの年表にまとめ、各地域ごとの電気導入や
エピソードを6ページの資料としてつけました。
 大正10年9月、文豪/大町桂月が常呂村を訪れ、登山や講演をしました。
「大町桂月全集」をベースにしながら、常呂村で行ったことや出会った人のこと
などを、常呂図書館所蔵の資料と駆使して時系列の資料にまとめました。
全体で20ページになり、当時の常呂村のおおまかなことが分かります。
明治44年(1911年)に常呂原野教育所で初めての運動会が行われました。
この年表では、常呂の各地で行われてきた運動会や学校の運動会、
常呂町商工会主催で始まった昭和31年(1956年)以来の町民運動会の
歴史や内容・成績を年表にしました。特に、町民運動会は分かる限り、
成績を記録し、平成17年(2005年)開催の第45回町民運動会まで
載せています。全体のボリュームは7ページ。
年表の中心は、樺太アイヌの文化・言語の伝承者であった藤山ハルさんと
昭和30年8月18日(1955年)にハルさんと出会った東京大学文学部教授/
服部四郎氏との関係です。年表が10ページ、資料となる写真が10ページ
あります。多大な功績と貴重な写真を添えた年表です。
昭和32年(1957年)にテレビの電波を受信したという「共立百年史」の記述から
昭和58年(1983年)までの常呂図書館所蔵資料で確認できた「テレビの普及・
テレビ局の取材・常呂に関する番組放送」などを年表にしました。
年表が3ページ、年表を補強するための資料が5ページあります。
かつて隈川と呼ばれていた吉野地区の年表。大正2年(1913年)の入植から
昭和54年(1979年)に旧吉野小学校校庭で開催した「吉野会」までを3ページ
にまとめました。
*吉野小学校(隈川)の始まりから廃校までの沿革も含めています。
 大正14年(1923年)に岐阜地区の青年団主催の敬老会を始まりとして、
戦後、青年団を中心とする農村地区の敬老会、昭和38年(1963年)の
「老人福祉法」制定から常呂町で始めた合同金婚式、昭和41年(1966年)
制定の「敬老の日」を経て町内各地で開催されるようになった敬老の歩みを
昭和56年まで、3ページにまとめました。
 大正2年(1913年)から湧網線誘致運動が始まり、昭和11年10月10日(1935年)に
網走・常呂間の湧網東線開通、昭和28年10月22日(1953年)の湧網線全線開通、
昭和40年から始まった湧網線の合理化、昭和62年3月19日の「さよなら湧網号」運行
で廃止となった線路、それ以後の関連事項を平成7年(1995年)までの11ページの
年表にまとめ、写真などの資料7ページをつけました。湧網線合理化から廃止までは詳細です。
 常呂図書館が所蔵している湧網線を含むローカル線廃止に関する新聞記事を 調べるためのツール。
 (PDFファイル)
「新聞名 掲載年月日 見出し・リード キーワード・記事の概要」を時系列にまとめています。
昭和46年1月から昭和60年7月までで15ページあります。
国鉄の赤字ローカル線廃止にいたる経過も分かります。
実際の記事は、来館してご覧ください。
 昭和37年(1962年)に誕生した老人クラブ「長生会」から昭和40年(1965年)の
常呂町老人クラブ連合会の誕生を経て、平成27年(2015年)の北見市老人クラブ
常呂支部50周年までを5ページの年表にしました。各地区の単位老人クラブ結成も
記録しています。
大正2年(1913年)の常呂川口の木橋(常呂橋)渡橋式から平成5年(1993年)の
共立橋渡橋式まで、公的資料で確認できる「渡橋式」を年表にしました。
吊り橋の共立橋、栄福橋、朝日橋、岐阜橋、太幌橋、日吉橋、栄浦大橋などを
取り上げ、年表が2ページ、渡橋式の広報記事・写真が24ページあります。
 昭和12年(1937年)に岐阜地区から始まった託児所が農村地区に広がり、
市街地区では白鳩保育園、めぐみ保育園、私立常呂幼稚園、かもめ保育所を
経て常呂保育園の開設、常呂幼稚園の開設に至ります。平成19年の常呂幼稚園
閉園以降の日吉保育所・川沿保育所閉園の平成24年(2012年)までを4ページの
年表にし、写真などの資料を3ページつけています。
常呂における野球の始まりは大正時代で、常呂尋常小学校・手師学尋常小学校に
記録が残っています。この年表では、記録が載っている戦前と戦後すぐに急速に
普及した軟式野球の広がりを詳細な記録で示しています。また、昭和27年(1952年)に
常呂高校定時制で発足した硬式野球部の公式試合記録も昭和43年まで記載しています。
年表が9ページ、写真や大会資料が11ページあります。
その1は、常呂に入植が始まった明治30年以降から現代にいたるまでの水害を中心とする
いろいろな災害の年表と明治・大正・昭和30年代までの大きな災害の証言・記録
からなる資料集で、33ページあります。
その2は、「あのときの常呂・写真館」から昭和37年、昭和39年、昭和53年を再録し、
道立図書館デジタルライブラリーに登録している常呂図書館所蔵写真のリストを
つけ、15ページあります。全体で46ページのボリュームです。
福山地区にあった太茶苗と幌内特別教授所の始まりから、太幌尋常小学校への
統合、地番変更を経て福山小学校にいたる経過と年度ごとの大事なできごとを
年表にし、平成4年の休校以降の「風のがっこう」を含め、平成16年の廃校までも
収めています。5ページあります。
昭和27年11月11日開校から昭和51年3月22日の閉校までの23年4ヶ月という
短い登小学校の歩みを2ページの年表にまとめました。
昭和23年の富丘開拓学校設置から昭和25年4月1日の富丘小中学校開校、
昭和41年3月の富丘中学校廃校を経て、平成12年3月20日の富丘小学校
休校式までのあゆみを5ページの年表にまとめました。
明治42年6月の常呂第二小学校付属手師学特別教授場として
出発し、平成21年に開校100周年を迎え、平成28年3月
閉校までの歩みを8ページの年表にまとめました。

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